広島高等裁判所 昭和34年(ネ)145号 判決 1966年3月25日
控訴人(被告)
荒木久士
代理人
早川義彦・外一名
被控訴人(原告)
高橋好男
代理人
河村善吉
主文
(一) 控訴人は被控訴人に対し金二五万七四〇〇円およびこれに対する昭和二九年一二月一一日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
被控訴人の附帯の請求中その余の部分は棄却する。
(二) 原判決を取り消す。
被控訴人の従前の請求(損害賠償請求)を棄却する。
(三) 訴訟の総費用は控訴人の負担とする。
(四) この判決中被控訴人勝訴の部分はかりに執行することができる。
事実
(一) 控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の従前の請求および新請求は何れもこれを棄却する。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は、差戻前の当審において「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金二五万七四〇〇円およびこれに対する昭和二八年四月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決、差戻後の当審において訴を変更し、「控訴人は被控訴人に対し金二五万七四〇〇円およびこれに対する昭和二七年一二月一六日から支払ずみに至るまで年六分の割合による金員を支払え。」との判決、および各仮執行の宣言をそれぞれ求め、右従前の請求は変更後の請求が認められない場合の予備的請求として維持する、と述べた。≪以下、当事者双方の事実上および法律上の主張、立証関係=省略≫
理由
(一) 控訴人が昭和二七年九月二五日訴外小川太郎に対し被控訴人主張のような本件約束手形一通を振り出したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被控訴人は同年一〇月頃右小川太郎から白地裏書によつて右手形の譲渡を受け、その所持人となつた事実を認めることができる。<証拠>によると、当初右手形の第二裏書欄に裏書人として株式会社大福の記名捺印がなされていた事実が認められるけれども、前顕各証拠に徴すると、右事実のみをもつて直ちに前叙認定を覆えすには足らず、他に右認定を左右しうべき証拠はない。
(二) 控訴人が本件手形を現に所持していることは当事者間に争いがないので、これが控訴人の手裡に帰するに至つた経緯について判断するに、<証拠>を総合すると、次のような事実が認められる。
被控訴人は、昭和二八年三月頃、右手形金の支払方法に関し仲裁に入つた訴外小山鶴蔵を介し、控訴人から、卸売価格で金一七万八〇〇〇円位する洋紙一〇梱で右手形金債務の代物弁済をしたい旨申入れを受け、ついで一〇日位後に、右小山から、右の洋紙を同人方に持つて来てあるので手形を控訴人に返すよう求められた。被控訴人としては、その洋紙が真実前記価格程度のものであるか否かを調査した上でなければ、代物弁済の諾否を決しえないとして、手形の返還を拒んだところ、右小山から、仲裁人として手形を預かつていることを控訴人に示すためだけだからと、たつてその交付を求められたため、前記調査をして代物弁済の諾否を決するまでは、控訴人には返還することなく、小山の手もとに保管するよう念を押した上で、本件手形を同人に預けた。右洋紙は卸売価格で金六万円にも達しないものであつたから、被控訴人はこれによる代物弁済を承諾しなかつたが、小山は被控訴人との約束に反し、本件手形を控訴人に渡し、控訴人もまた、被控訴人が真意で代物弁済を承諾した筈もないことを少くとも察知しながらこれを受け取つた。
以上のような事実を認めることができ、<証拠>中、右認定に反する部分は措信しえない。そして、他には右認定を覆えして、右洋紙が代物弁済の目的として授受されて本件手形金債務の決済がなされ、或は、事前に右債務の目的を紙類の引渡に変更する合意が成立していた事実を認めるに足りる証拠はない。
(三) してみれば、被控訴人は控訴人に対し、右約束手形金二五万七四〇〇円の支払を求める権利を有するものということができる。叙上のように、手形振出人たる控訴人が訴外小山を介して被控訴人から手形を取り戻し、現にこれを占有している本件の如き場合においては、被控訴人は、手形の呈示交付をなすことなく直ちに控訴人に対し手形金の支払を請求することができ、控訴人は被控訴人が手形を所持しないとしてその権利を争い、或は引換給付の抗弁をなすことはできないものと解するのが相当である。また叙上の事実関係のもとにおいては、控訴人が洋紙を云々して手形金の支払を拒みえないことは、いうまでもない。
(四) 控訴人は右手形金債権は満期後三年の経過に伴い時効によつて消滅した旨主張し、これに対し被控訴人は本訴提起により右時効は中断している旨争つている。叙上認定の事実関係からすれば、正当な方法によらずして手形を自己の占有下におき、一般人の通念からは手形上の権利行使不能と考える方がむしろ通常とさえ認められるような事態を惹起した控訴人において、満期を起算点とする時効を援用することは、信義則上許されないところであるとも言いうる。しかし、当裁判所は、さらに進んで、後述のような観点から、被控訴人主張の時効中断の抗弁は理由があり、時効の完成自体が否定されるべきものと判断する。もつとも、約束手形の要件に関する原審訴状の記載は、金額の点でも、満期の点でも、本件手形のそれと相違するので、右訴状の提出をもつて直ちに本件手形金債権に関する権利の行使があつたものと認めるのは相当でないから、右中断の時期は、書面に基き手形要件に関する正確な主張がなされた昭和二九年一二月一〇日の口頭弁論期日となすべきである。
差戻前の当審における被控訴人の請求は、本件手形金自体の支払請求としてではなく、右手形金債権を喪失したことによる手形金相当額の損害賠償として構成されている。しかし、ここに手形金といい、損害賠償といつても、後者は前者の代償ないし変形物にすぎず、もとより並存しうべきものではない。そして、実体法上の請求、例えば債務者を遅滞に附するための履行の請求としては、それによつて相手方が債務の同一性を事実上認識しうれば足りる(法律上の根拠や呼称を知るを要しない。)から、手形金債権自体が終局的に消滅してはいなく、前叙認定の事実関係からすれば、当事者双方もそのことを知つていたものと認められ、手形金相当額の支払請求は右債権の行使としてしかなしえない関係(そして手形金債権の行使としても、あらためて手形を呈示することを要しない関係)にある本件においては、前記昭和二九年一二月一〇日の口頭弁論期日において明確にされた請求をもつて、実体法上本件手形金債権の行使があつたものと解するのが、債権者たる被控訴人の合理的意思にも適い、相当である。ただ訴訟上の請求としては、被控訴人は、さきには、手形を所持しない以上手形金の請求は一切できないとの誤解により、被控訴人が右手形上の権利者となつたことを前提として主張しながら、手形金に相当する金員の支払を損害金の名のもとに請求していたが、差戻後の当審においてこれを改め、被控訴人が本件訴訟によつて達せんとした当初からの目的に適う唯一の正当な実体法上の権利たる手形金請求権そのものを訴訟物とするに至つたのが、まさに本件における訴の変更に至るまでの経緯であることは、弁論の全趣旨に徴し明らかである。すなわち、時効期間満了前である前記口頭弁論期日において明確にされた請求において、実体法上の権利行使ありと目され、訴訟上も訴訟物の前提たる権利として主張されていた本件手形金請求権が、右訴訟の係属中、訴の変更によつてそれ自体訴訟物として請求されるに至つたのであるから、さきの主張による、少くとも催告としての時効中断の効力の継続中に、右権利についての訴訟上の請求がなされたものといいうる。したがつて右権利についての消滅時効の完成は、これを認めるに由ないものといわなければならない。≪以下省略≫(三宅芳郎 裾分一立 横山 長)